清原容疑者とは違う生き方 感動の元巨人軍選手の第二の人生

プロ野球では毎年有望な選手が入団して来る一方で、同じ数の選手がプロ野球界から去って行く。


覚醒剤使用で逮捕された清原容疑者は、高校時代から注目を浴び、プロ野球界のスーパースターになって行った。


現役時代に活躍した選手は、その後コーチや監督、野球解説者、キャスターなどになっている人も多い。


王貞治氏、長嶋茂雄氏、衣笠祥雄氏、松井秀喜氏は国民栄誉賞を受賞している。


王貞治氏が第一回目の受賞者で、王氏の偉業を称えるために設立された賞だともいえる。


世界の盗塁王と言われた福本豊氏、現役メジャーリーガーのイチロー選手は、国民栄誉賞の打診を断っている。


一時代を築いたスター選手は、引退後の身の振り方に悩むことはないかも知れないが、球界を去る多くの選手は、野球とは無縁の世界で次の人生を歩む事になる。


そんな元巨人軍選手の第二の人生を追ってみた。


★河野博文さん


高知県出身、明徳高(現明徳義塾高)から駒沢大に進学。日本ハム入団後、4年目に最優秀防御率のタイトルを獲得した。巨人移籍後の2008年には最優秀中継ぎ投手に輝く。同年の11・5ゲーム差を逆転した「メークドラマ」の立役者になった。平成12年、プロ野球を引退。


プロ通算成績は462試合54勝72敗15セーブ、防御率3・93。身長172センチ。左投げ左打ち。


群馬県の独立リーグチームでコーチをしていた平成21年、妻の広子さんを乳がんで亡くした頃、元西武の駒崎幸一氏から「農業をやってみないか」と誘われ、現役時代に健康管理に気を使ってくれた妻の思いを胸に、無農薬で安心な野菜を作ろうと決意した。


2013年8月、前橋市内に現役時代の愛称から名付けた食品加工会社「げんちゃん」を立ち上げた。

栽培したタマネギを使った冷凍ギョーザなどのネット販売を始め、具の75%がタマネギで甘みが強く、子供にも食べやすいと好評だ。


今後さらに事業を拡大して、引退した選手の受け皿となれば、と新たな道を見据えている。


★松谷竜二郎さん


大阪市立高から大阪ガスを経て1988年ドラフト2位で巨人に入団。3年目の91年、2試合連続完投勝利を挙げた。95年近鉄に移籍。97年に引退。



プロ通算成績は59試合4勝4敗1セーブ、防御率5・06。身長182センチ、体重80キロ。右投げ右打ち。


引退後務めていた建設会社の専門床工事部門が独立して「スチールエンジ」という社名になり、3年間営業を務めたあと代表になった。


床版の専門工事では業界トップで、東京・丸の内のパレスホテル、大阪駅前のヨドバシカメラなどの工事も請け負っている。年間の工事数は約600件で年商は40数億円。



★條辺剛さん


1999年ドラフト5位で巨人入団。2000年9月に先発でプロデビュー。翌年は中継ぎとして46試合7勝8敗6セーブ。2002年も47試合(2勝3敗)に登板してリーグ優勝し日本一に貢献。2005年に24歳の若さで現役引退。


引退後、宮崎県のうどん店で働き、その後、讃岐うどんの本場の香川県の老舗「うどんのなかにし」で夫人(当時未入籍)とともに修行した。


0084月に、妻の実家が近い埼玉県ふじみ野市の福岡駅近くにうどん店「讃岐うどん 條辺」を開店した。


今では連日常連客で賑わい、1日平均300杯程度を売り上げるという。

夢は、巨人の本拠地・東京ドームの最寄り駅、水道橋で店を経営すること。

巨人の高橋由伸新監督は、現役引退したとき「困ったことがあったら遠慮なく連絡してこい」と留守電にメッセージを残してくれた先輩だという。



★中村隼人さん


長崎日大高校から創価大学、社会人野球の本田技研を経て2000年ドラフト4位で日本ハムに入団。2年目までに計13勝の活躍を見せたが、2004年にトレードで巨人に移籍。

2006年は独立リーグ、台湾でプレー。


日本でのプロ成績は88試合15勝18敗1セーブ、防御率4・32。身長183センチ、体重90キロ。右投げ右打ち。


引退後、居酒屋に勤めていて2年前に親友から誘われ、立ち食い焼肉店の店長になる。


店は新宿歌舞伎町にあり、わずか4坪の店内は大人6人が入ると満席になる。

「肉の一切れ売り」という物珍しさと、焼肉の立ち食いスタイルが口コミで広がり、グルメ誌やテレビ番組が取材に訪れた。


今では行列が絶えない立ち食い焼肉店になり、当初620万円だった月商も、昨年10月には1660万円を記録した。

夢は、いつか長崎に戻り高校野球の監督になることだ。



プロ野球選手というプライドを棄て、一般社会で出直し勉強し教えを請い、時には罵声を浴びながらも第二の人生を切り開いた人たちに拍手を送りたい。 

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