それぞれの3・11 プロゴルファー 松山英樹 岩田寛 東北ヘの思い

松山英樹さんが東北の悲報に接したのは、東北福祉大1年生の時のオーストラリア合宿でのことでした。


3月20日の夜に帰国した松山さんは、車で仙台の寮へ向かいました。

松山さんは当時をふり返り、「寮の部屋はぐちゃぐちゃだったし、道路もデコボコで、こんなときにゴルフをしていてもいいのだろうかと考えた」と話しています。


当時、松山選手は、マスターズ出場が決まっていて、想像を絶する惨状を目の前にして、「マスターズ出場辞退」が頭の中をよぎったといいます。


しかし、大学に励ましの電話、メール、FAXが殺到し、そのすべてが激励のメッセージでした。「ここまで応援されているとは思わなかったし、頑張って行こうと思いました」と、渡米時に松山選手はコメントしています。


また、マスターズ開幕前に行われた公式記者会見では、「このような困難の状況で、マスターズに出場することが許されるのか、この場にいても心の中が揺れているのが正直なところです」と、その複雑な思いを語っています。


松山選手は、米ツアーを主戦場にしているため、日本での試合出場は年間2試合だけとなっていて、昨年はその一つに福島オープンを選び、「いつかこの大会でプレーしたいと思っていた」という思いから参加を決めたといいます。


前週に行われていた全英オープンから福島入りして、ほとんどぶっつけ本番という強行スケジュールでしたが、初めてのマスターズ出場へと背中を押してくれた、東北の人々への恩返しの気持ちがあった事は間違いがありません。



松山選手と同じく、今年から戦いの場所を米ツアーに移した岩田寛さんは、仙台で生まれ育ち東北福祉大を卒業しています。


震災当日、沖縄でキャンプを張っていて、帰途の途中の那覇空港から仙台空港へのフライト中に大震災が起きました。

目的地の仙台空港は津波に飲み込まれていて、飛行機はそのまま那覇空港に引き返しました。


仙台空港の駐車場に停めていた愛車は津波に飲み込まれて、大学ゴルフ部の同級生の奥さんが亡くなり、そのお子さんが行方不明になっていました。


岩田選手の家族は無事でしたが、なかなか連絡がとれなくて、停電で水もでなかったそうです。


岩田選手は、「帰れば、僕ひとり分の水が必要になる」と考え、仙台の実家に戻ったのは4月に入ってからでした。家に帰った直後に震度6の地震に見舞われたといいます。



岩田選手は、「夜、寝る前とか、思い出すたびに泣きそうになります」と語り、「僕のプレーを見た人が、何かを思ってくれればいいなと思います」と、戦いを通して東北を思い続けています。

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